言葉の処方 Ⅰ

今は昔。古ぼけた精神科病院の畳敷きの大広間で、いつものように、患者さんと雑談やゲームをしたりしながら、それぞれの患者さんの診察としての観察をする。

早速、Aちゃんが、畳の上をほふく前進(兵隊用語:赤ちゃんの「ずりはい」のような行動)でやってくる。この奇妙な行動は皆が見慣れてしまって、当たり前になってしまっている。慣れとは恐ろしいものである。この人に初めて病棟で遭遇した当初は、心配になって「どうしたの?大丈夫か?」とよく声をかけたものである。

なぜ歩かないのか、どうしてほふく前進なのかと聞くと、ご本人は、

「あかんねん! あかんねん! 科学者がわたしを実験に使っているので歩かれへんのや!!」

と言う。いつ聞いても全く同じ答えである。ただ、よく観察をすると、Aちゃんは診察室までの廊下や、トイレに行くときはちゃんと立って歩くのである。だから診察室で診察すると、ほふく前進には気づかない。

ずっと気にかかっていた人なので、主治医交代を機に担当を志願した。この人は長期入院で病院での歴史がある。過去のカルテを全て調べようと倉庫から出して来たら、数メートルの厚さである。読み終えるのに、数週間かかった。かなり前からほふく前進をしていることが分かった。当初の主治医も心配して、整形外科に診察を依頼したり、種々手を打っていた。結局、膝関節に多少の問題はあるものの、歩けないほどではないという結論であった。つまり、この「科学者の話」は精神病理学的には「膝の違和感」に「科学者の実験」という意味づけをするという思路の障害であり、妄想の形式としては妄想知覚に分類される。

当初より、「科学者が自分を実験に使っているので歩けない」と主治医に話していたため、歴代の主治医は、種々の抗精神病薬の追加、増量したが変わらないため、大量多剤併用となっていた。

主治医になって、もう一度整形外科にコンサルトし、前回と同じ歩けないほどの器質的変化がないことを確認した。そこで数か月かけて、処方の整理、単剤化し減量をおこなった。薬の力価から言えば数十分の一にしたが、妄想が悪化することもなく、その他の精神症状に変化もなかった。

さて、次の手はと考え、師長さんたちとも相談して、

「実験は終了しました、あなたは明日から歩けます。  科学者より」

と書いた手紙を師長さんから、「どっかから、手紙が届いてるよ~!」とAちゃんに手渡してもらうことにした。

翌日、みんな、ビックリした、師長さん、看護師さん、当の私が特にビックリした。

Aちゃんが、畳部屋で歩き始めたのである。以後、ほふく前進することはなかった。

妄想に対する精神療法的アプローチ、チョッとした「ことばの処方」であった。

病的体験などの人間の心的事象の治療を、すべて薬物療法で可能であると考えるのは、「妄想」である。

 

個人情報保護のため、ご本人を特定できる情報は除いた。

#24:書痙(しょけい):僕のことブログに書いてもいいですよ。字を書こうとすると緊張して手が震える。

 「僕のことブログに書いてもいいですよ」と、その人は自分から言ってくれた。「30年も悩んできたのに数ヶ月でよくなったのだから、ほかの人にも教えてあげてください」とのことであった。
書痙の人である。
 高校2年受験に厳しい先生に当てられて震えた。先生に「おまえ震えてる」といわれみんなからも「震えてる、震えてる~~~!」といわれたことを、はっきりと覚えている。それ以来、人前で字を書くことを避けてきた。何とか我慢してきたが、数年前より心療内科受診し、薬をもらい、困ったときのみに使用していたが、次第に効果がなくなってきた。家族の前では問題がないが、会社でみんなが、見ている前で、特に字が書けない、はんこが押せない、最近会社で字を人前で書くことが多くなり、困っていたところ、当院のブログの「逆説志向」をみて試してみようと受診してきたという。
 典型的な書痙の方である。早速「逆説志向」の適応と思ったが、かなり遠方からの通院の方である、一回でよくならない、少なくとも数回は通院が必要であろうから、遠距離通院は大丈夫ですかと、相談したがかまわないという。真面目な人である。

 早速「逆説志向」の図を説明し、「一所懸命」に私の前できたない、へたくそな字を書く練習をしてもらった。受付カウンターでスタッフの目の前などでも、意識して「へたくそな字」を書く練習をしてもらった。ご本人の言うごとく、かなり震えている。
 多少のお薬と同時に宿題。自宅での宿題練習としては、駅などの定期券を書く台の上、・・・人の目に触れる場所で・・汚い字を書く練習をするようお願いした。
遠方でもあるので、初めの数回は1~2週に一回、以後一月に一回程度の通院とした。
 数回目、回転寿司の順番待ちの記名で何気なく名前がかけた、ただ駅の定期のところはやっぱりダメ。しかし「アレっと思う瞬間(意識せずに字を書いている)」が出てきた。ただ会社などの重要な場面では失敗が多い。
 会社でも、今まで隠してきたが、自分が人前で字を書こうとすると緊張して震えて汚い字になること、上司に打ち明けたところ、話のわかる上司でほっとしたという。
 最終日 8回目の受診日(経過数ヶ月)、ある日公式の書類に小さな字で書けたことがあり、妙に自信がついたことがあった。なんか薬もなしでいけるような気がしてそれ以来服薬していない。

 「ある日突然会社で字を書いていたらフッと思ったんです。もともとの自分よりチョッときれいな字をみんなに見せようとしている、それをやめればよいと思った」そしたらふっと楽になった、とのことで卒業とした。

当院卒業おめでとう、「予約もなしで、困ればお越しくださいと」と話した卒業宣言した。
半年以上彼の再受診はない。

#23 不眠とアルコール

ある会社の社長さん。

「寝付きはいいが何回も夜中に目がさめる」とのことでお見えになった。睡眠薬なども他院でもらったがもう一つということであった。
ヨクヨクお話を伺うと、仕事の関係で、パーティーが多く、どうしてもお酒を飲まなければならない。御本人は、お酒に弱く、頑張って慣れるために好きでもない酒を飲んできた。友人などに酒を飲んで寝たら良いと言われ頑張って飲んできた。最近、特に寝むれないので、やってきた。

この人にも3日でいいから禁酒をお願いした。それでまだ症状が続くようなら睡眠薬の薬にしましょうと提案した。この人も怪訝な顔で何故薬を出さないか?と聞く。

うまくいけば薬なしで
一日目、そんなに変わらないですよ。
二日目、チョット体の軽さ感じますよ、その晩くらいから、よく寝れますよ。
三日目、治りますよ。

それでダメなら睡眠薬、出しましょう、と約束した。
心配というので、少量の睡眠薬を処方した。なんとなく不満そうにその日は帰って言った。
後日、この人の個人秘書さんという人から連絡があり、処方された睡眠薬もなしで、言われた通り、よく寝れているとのお礼の報告があった。
このようなお立場になられると、秘書さんを、通じて結果を報告いただけるのだと、また逆にこのようなお気遣いをする人であるからこのお立場になれたのか、と、ご本人の配慮に感心した。

お酒には血中濃度に関連して興奮期が訪れるため、睡眠の質は悪くなるのである。お酒を飲むと、最初は興奮して騒ぐ、もっと飲むとアルコールの催眠作用で眠くなる。当然体内に入ったアルコールは代謝されて興奮をもたらす血中濃度の時期が、覚めてゆく過程でもあり、眠りは浅くなる。
酒飲みで、不眠でお困りの方、一度でいいからおさけを三日やめてみることを試されたい。

吃音(どもり):逆説志向

小さい頃から吃音(どもり)で苦労してきた。からかわれたり、真似をされたりした。両親も治そうと頑張ってきた。治そうとすればするほどひどくなった。

自分のような嫌な思いをする人を手助けしようと自分は言語療法士になった。学生の間はなんとか「どもらず」にすませてきた。ところが、いざ吃音の患者さんを前にしてみると、緊張しては自分も吃音が出てしまう。精神科でなんかで治らないと思いながらも、なんとかしなければと藁にもすがる思いでやってきた。

「あのノノの ノノノ・・・・・・・・」「 吃音なんですすすすす・・・・・・・」

そこで、いつもの逆説志向、「思いっきり、どもりましょう」数10分どもる練習をした。

どもろうとすればするほどできない自分に気がついた。

アア、ヨカッタヨカッタ治ったねというと、本人の複雑な表情をする。

何十年の間困っていた吃音が治ったのに、浮かないのである。

自分は何十年も苦労した、吃音の治療だけが言語療法士の仕事ではないが、自分は吃音の治療をするために言語療法士にまでなった。

なんとあっけなく治ってしまったのか。言語療法士になる苦労はなんだったのかと思う。

困った、彼のアイデンティティーが無くなってしまった。吃音の治療は終了したが、なんとなく複雑な気持ちであった。