#24:書痙(しょけい):僕のことブログに書いてもいいですよ。字を書こうとすると緊張して手が震える。

 「僕のことブログに書いてもいいですよ」と、その人は自分から言ってくれた。「30年も悩んできたのに数ヶ月でよくなったのだから、ほかの人にも教えてあげてください」とのことであった。
書痙の人である。
 高校2年受験に厳しい先生に当てられて震えた。先生に「おまえ震えてる」といわれみんなからも「震えてる、震えてる~~~!」といわれたことを、はっきりと覚えている。それ以来、人前で字を書くことを避けてきた。何とか我慢してきたが、数年前より心療内科受診し、薬をもらい、困ったときのみに使用していたが、次第に効果がなくなってきた。家族の前では問題がないが、会社でみんなが、見ている前で、特に字が書けない、はんこが押せない、最近会社で字を人前で書くことが多くなり、困っていたところ、当院のブログの「逆説志向」をみて試してみようと受診してきたという。
 典型的な書痙の方である。早速「逆説志向」の適応と思ったが、かなり遠方からの通院の方である、一回でよくならない、少なくとも数回は通院が必要であろうから、遠距離通院は大丈夫ですかと、相談したがかまわないという。真面目な人である。

 早速「逆説志向」の図を説明し、「一所懸命」に私の前できたない、へたくそな字を書く練習をしてもらった。受付カウンターでスタッフの目の前などでも、意識して「へたくそな字」を書く練習をしてもらった。ご本人の言うごとく、かなり震えている。
 多少のお薬と同時に宿題。自宅での宿題練習としては、駅などの定期券を書く台の上、・・・人の目に触れる場所で・・汚い字を書く練習をするようお願いした。
遠方でもあるので、初めの数回は1~2週に一回、以後一月に一回程度の通院とした。
 数回目、回転寿司の順番待ちの記名で何気なく名前がかけた、ただ駅の定期のところはやっぱりダメ。しかし「アレっと思う瞬間(意識せずに字を書いている)」が出てきた。ただ会社などの重要な場面では失敗が多い。
 会社でも、今まで隠してきたが、自分が人前で字を書こうとすると緊張して震えて汚い字になること、上司に打ち明けたところ、話のわかる上司でほっとしたという。
 最終日 8回目の受診日(経過数ヶ月)、ある日公式の書類に小さな字で書けたことがあり、妙に自信がついたことがあった。なんか薬もなしでいけるような気がしてそれ以来服薬していない。

 「ある日突然会社で字を書いていたらフッと思ったんです。もともとの自分よりチョッときれいな字をみんなに見せようとしている、それをやめればよいと思った」そしたらふっと楽になった、とのことで卒業とした。

当院卒業おめでとう、「予約もなしで、困ればお越しくださいと」と話した卒業宣言した。
半年以上彼の再受診はない。

#23 不眠とアルコール

ある会社の社長さん。

「寝付きはいいが何回も夜中に目がさめる」とのことでお見えになった。睡眠薬なども他院でもらったがもう一つということであった。
ヨクヨクお話を伺うと、仕事の関係で、パーティーが多く、どうしてもお酒を飲まなければならない。御本人は、お酒に弱く、頑張って慣れるために好きでもない酒を飲んできた。友人などに酒を飲んで寝たら良いと言われ頑張って飲んできた。最近、特に寝むれないので、やってきた。

この人にも3日でいいから禁酒をお願いした。それでまだ症状が続くようなら睡眠薬の薬にしましょうと提案した。この人も怪訝な顔で何故薬を出さないか?と聞く。

うまくいけば薬なしで
一日目、そんなに変わらないですよ。
二日目、チョット体の軽さ感じますよ、その晩くらいから、よく寝れますよ。
三日目、治りますよ。

それでダメなら睡眠薬、出しましょう、と約束した。
心配というので、少量の睡眠薬を処方した。なんとなく不満そうにその日は帰って言った。
後日、この人の個人秘書さんという人から連絡があり、処方された睡眠薬もなしで、言われた通り、よく寝れているとのお礼の報告があった。
このようなお立場になられると、秘書さんを、通じて結果を報告いただけるのだと、また逆にこのようなお気遣いをする人であるからこのお立場になれたのか、と、ご本人の配慮に感心した。

お酒には血中濃度に関連して興奮期が訪れるため、睡眠の質は悪くなるのである。お酒を飲むと、最初は興奮して騒ぐ、もっと飲むとアルコールの催眠作用で眠くなる。当然体内に入ったアルコールは代謝されて興奮をもたらす血中濃度の時期が、覚めてゆく過程でもあり、眠りは浅くなる。
酒飲みで、不眠でお困りの方、一度でいいからおさけを三日やめてみることを試されたい。

吃音(どもり):逆説志向

小さい頃から吃音(どもり)で苦労してきた。からかわれたり、真似をされたりした。両親も治そうと頑張ってきた。治そうとすればするほどひどくなった。

自分のような嫌な思いをする人を手助けしようと自分は言語療法士になった。学生の間はなんとか「どもらず」にすませてきた。ところが、いざ吃音の患者さんを前にしてみると、緊張しては自分も吃音が出てしまう。精神科でなんかで治らないと思いながらも、なんとかしなければと藁にもすがる思いでやってきた。

「あのノノの ノノノ・・・・・・・・」「 吃音なんですすすすす・・・・・・・」

そこで、いつもの逆説志向、「思いっきり、どもりましょう」数10分どもる練習をした。

どもろうとすればするほどできない自分に気がついた。

アア、ヨカッタヨカッタ治ったねというと、本人の複雑な表情をする。

何十年の間困っていた吃音が治ったのに、浮かないのである。

自分は何十年も苦労した、吃音の治療だけが言語療法士の仕事ではないが、自分は吃音の治療をするために言語療法士にまでなった。

なんとあっけなく治ってしまったのか。言語療法士になる苦労はなんだったのかと思う。

困った、彼のアイデンティティーが無くなってしまった。吃音の治療は終了したが、なんとなく複雑な気持ちであった。

精神科薬物療法について

精神科治療は、生物学的・心理学的・社会的側面からのアプローチが考えられる。生物学的には薬物療法、心理学的には精神療法、社会的側面からはリハビリテーション療法が一般的である。しかし治療目標が明確な他科の治療と異なり精神科の標的症状はわかりにくい。本当に患者さんのお役に立てているのか?などと考えてしまうことがある。

昔、反精神医学という理論があった。Wikipediaによれば、これは伝統的な精神医学の理論や治療に批判的な「思想運動」であり、精神医学は社会的逸脱にある種の精神病とラベルを付与する「社会統制」の1形態であるという。簡単にいえば、ちょっと変わった社会になじめない人が「精神病」とされるというのである。こういう意味で統合失調症に関しては「ひとつの生き方・存在形式」であるという人もいる。この思想運動に関連してか精神科医療を扱ったジャックニコルソン主演の映画「カッコウの巣の上で」があった。私より少し上の年代の先生方に馴染み深い思想運動だが、思想的に無色の私も一部「それもそうかな~~」っと、考えさせられるところもあり、精神科医ならば知っておくべき「思想・知識・歴史」である。「精神科など必要ない」という耳の痛~い考えの一つである。

こう言いながらも、精神医学も研究が進み「生物学的な医学の1分野」での市民権が得られてきた。ただ生物学的・心理学的と分類することが正しいのか、心理的動揺・変化があれば、脳内物質の反応が生じることは間違いないのだから。こんな意味で精神医学的治療は薬物療法が中心となっている。患者さんも、お薬なしというと怪訝な表情が返ってくることが多い。向精神薬の多剤・過量処方が問題になる中、無批判に精神科で使われる向精神薬というものが、本当に必要なのか役に立っているのか検証する必要があろう。

1952年のクロルプロマジン、以後1958年のハロペリドール、1957年の抗うつ剤 イミプラミン、1960年 ベンゾジアゼピン系抗不安薬など次々と生物学的基礎仮説にもとづいて精神科薬物療法の基礎が出来上がってきた。

1960~70年代の薬物療法が中心となり始めた頃に、心の病気、特に統合失調症を発症し、以後ずっと服用を続け人たちが80~90歳となってきた。長期にわたる薬物療法の社会学的哲学的観点から「ひとつの生き方・存在形式」である人たちのお役に立ってきたのか、再評価すべき時期が来ている。