新型5月病:「私、現役で大学通ってしまいました!」

この6月にも多くの患者さんが新しくお見えになった。世の中はこんなに複雑で、ストレスが多くて、困ったものなのか?本来、「心の医者」などなくてもよい世の中がよいのだろうと思う。
以前より「5月病」(Wikipedia)なる言葉があり、主に「新入社員、新入学生が・・・・・」、とされてきた、もともと、がんばって入学した後、入学という目標を失うといったところから来た言葉という。どうも新しく「6月病」形容してよいような一群の新入社員の人々がおられるような気がする。新型インフルエンザならぬ、新型「5月病」である。
6月といえば、本年4月入社で研修を受け、実働しはじめ本来の仕事が始まった矢先である。さらりと表面的なお話だけを聞くと「5月病」と変わりはないようだが、じっくりとこの人たちの話を聞いてみると、従来の「5月病」と呼ばれる人たちとは異なる共通項が見えてくる。
 
「気分が沈んで仕方がありません、会社にゆくのが怖いのです、夜うまく眠れないのです・・・・」。この程度まで聞くと、いわゆるストレス関連障害、適応障害の抑うつ型・・・がんばりすぎているのだ、と診断してしまうだろう。ちょっと休息でもとってみることをお薦めしてしまいそうである。
ところが、さらに状況を聞き進んでゆくと、「上司にしかられました、私は嫌われているのでしょうか?」「職場にうまく溶け込めないのです」とおっしゃる。
どうも違う? もっともっと聞いてゆくと、これらの多くの人たちには、やや従来の「5月病」とは異なる精神病理が存在するように思える。
この人たちは、一流大学卒で一流会社のエリート候補である。小さいときから英才教育を受け、学校の先生、両親にさえしかられたことがないという、ましてや他人にしかられたことなどない。限られた英才たちの間だけで、褒められることだけを経験してきたという。テストの成績は当然上位である。「答えの存在する問題」を解き、しかも的確にすばやく答えを出すことを訓練されてきた。「答えの存在しない問題」はない世界である。
そのような訓練を受けてきた人たちが、上司にしかられ、実社会に出て「答えの存在しない問題」に遭遇すると混乱をきたす。仕事、人間関係・・・世の中には、「答えの存在する問題」のほうが少ないということに面食らい、それが理解できないように思える。
イタシカタなし、精神療法的にじっくりとお話を伺い、世の中は、全く正しい答え、正解が存在しないほうが多いのであって・・・・などと、高校生に話したなら「オジサンぶって、ウザイ!」としかられそうなお話をする。さすがに、この人たち世の中で「少しもまれたせいもあるのか」しっかりと聞いてくれる。叱られるのも「君が期待されているから、トレイニングしてもらっているのではないか?」と疑問をぶつけてみるとさすがに頭のよい人たち「わかりました!!」と意気揚々となり、数回で、当院を卒業してくれる方が多い。
?この人たちと話をしながら、昔、私が某大学で教職にあったころに知り合った医学部の学生さんのこと思い出した。すなおで、よい子である彼女は医学部の学生でも、上位に属する人であった。つまりエリートである。
あるとき、私が別の教員と「浪人も別に悪いものではないですね、いろいろと人生を考えてみるチャンスであったようにおもいますね。この年になってわかるようになりました」「うん!僕もそう思うよ!」「お互い、大学に入るのに、数年苦労したモンネ!」などと、半分自嘲の意味もこめて話していた。
横で聞いていた彼女が、「先生! えらいことをしてしまいました! 私、大学を現役で通ってしまいました!!」と真剣な表情で困っている顔がフッと、私のこころをよぎった。
彼女は「技術的にはよい医者」になるだろう。ただ「心の医者」には、向くかな? あるいはできるのか?などと、あの「真剣な表情」を思い出しながら、彼女の歩んできた、そしてこれから歩む、であろう医者としての人生を思う。

強迫性障害とフェイルセーフ

機械工学の設計思想のひとつに、フェイルセーフというものがある。
「フェイルセーフとは、なんらかの装置、システムにおいて、誤操作、誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。
またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ」。
これは装置やシステムは必ず故障する、あるいはユーザは必ず誤操作をするということを前提にしたものである。機械は壊れたときに自然にあるいは必然的に安全側となることが望ましいが、そうならない場合は意識的な設計が必要である。たとえば自動車はエンジンが故障した場合、エンジンの回転を制御できないような故障ではなく、回転が停止するような故障であれば車自体が止まることになり安全である。鉄道車両は、(空気圧で動作する)ブレーキに故障があった場合、非常ブレーキがかかるように設計することがフェイルセーフとなる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
一方で、強迫性症状とは、「ばかばかしいとはわかっていながらも、考えてしまうこと、あるいは行ってしまう行為」、例えば「玄関の鍵をかけたはずであるのに、かけたかどうか気になって仕方がない、ガス栓は閉めたかどうか、電気のスイッチを切ったかどうか・・・・・」気になって仕方がない。  何回も何回も確認しなければ気になって仕方がない。よくある話である。皆様方もご経験があるであろう。私も多々気にかかるほうである。だからこんな時には、誰かに確認してもらうことにしている。このような、症状は、人間の心の調子あるいは身体的調子が悪くなると強迫症状が出てきやすくなる。
ここで、先ほどのフェイルセーフを人間の場合に当てはめてみると、人間を機械にたとえるのはどうかと思うが、人間は非常によくできている「心の調子が、あるいは身体的調子が悪い」と強迫症状はよく出てくる。つまり人間にはこのようなフェイルセーフの設計思想が、DNA上に組み込まれているのである。強迫症状があるご本人はつらいことが多いがこれはフェイルセーフなのである。
治療として、私は、薬物療法この症状をある程度で軽減した上で、もう一方で精神療法的には、褒めることにしている、「あなたはそれだけきっちりした、几帳面な人なのですよ、安全装置がはたらいている人なのですよ!!」多くの方に、「気になるくらいであれば、大いに確認をおやりなさい、次第に自信がついて苦しさが軽減して行きますから」と説明する。多くの患者さんは、はじめは信じてくれないが、何回もしているうちに確かに!!と思ってくれるようである。多くの方が少しほっとしてくれる。

「仮面うつ病」:さまよえるドクターショッピング

うつ病について、比較的一般の方もご存知の言葉に「仮面うつ病」があります。うつ病の人は表情が出なくなるので「仮面」のようになるので「仮面うつ病」だとか、誤解されている方が多いように見受けます。

 「仮面うつ病」とは英語の「masked(仮面された) depression(うつ病)」の直訳です。本来の意味はカナダのクレイルという人が言い始めた言葉で、例えば先の述べた、胃腸症状、「頭痛」「めまい」「心臓がドキドキ」「呼吸が荒くなる」といったなどのいわゆる「自律神経失調症」と呼ばれるような種々の身体症状が目立ってしまい、「抑うつ症状」、「やる気が出ない」、「うっとうしい」「悲しい」などのこころの症状が前面に出てこない、つまり身体症状にmasked:仮面された、あるいは隠されたといえばよいのでしょうか、そのような身体症状の奥に「マスクされたうつ病」の症状がみられるうつ病のことを「仮面うつ病」と呼びます。

 この方たちは不幸にもこの身体症状のために、たくさんの病院を訪れては、体の検査をいっぱい受けて廻っては問題ないといわれ、いわゆる「ドクターショッピング」を行い、さまよったあげく最後にメンタルな面を指摘されわれわれのもとにこられます。

 ただし、逆にこれは気をつけないと、うつ病のように思われていた症状が、実は身体に関する病気がもとであったということがありますので注意が必要です。