男と女 Un Homme et Une Femme No4「人生の主人公」

 まもなく結婚という段階に来てよし子さん(仮名)は元気が出ない。周囲の人たちから見れば、この才女が寿退社に当たってどうして「うつ」になるのだろうと、理由がわからないであろう。すばらしい資格に素敵なご主人。
こんな場合、チョッと精神医学をかじった人なら「婚約期うつ病」という言葉を連想するであろう。
この人と一生うまくやっていけるのだろうか?幸せにしてあげれるのであろうか?さては子供ができたら立派に育てられるのだろうか?いっぱいの将来への不安、婚約期うつ病の人たちの心の動きといわれてきた。
でも、よし子さんはどうもこの精神療法に乗ってこない。なかなか手ごわい。かなりの時間を割いて彼女と話し合った。
彼女のご両親の話になった。母はずっと家にいた、専業主婦である。彼女の父である、ご主人にしばしば「いったい誰に食わしてもらっているんだ!」としばしば言われているのを横で聞いてきた。そんな母のようには、なりたくない。彼女はがんばった。勉強した、資格を取った、営々と築き上げてきた信用、キャリアー・・・・・とにかくがんばってきた。そんな折、彼と知り合い将来を誓った。これでよいのか?母が父に言われた言葉がフッと心をよぎった。「いったい誰に食わしてもらっているんだ!」いったい今までの苦労は何だったのだろうか。
結婚することで、自分は「人生の主人公でなくなった」ように思えて仕方がない。このままでよいのか?結婚しても人生の主人公でいられるのか。
  「まあ、しばらく主婦でもしますわ」 ニッと、 笑って、彼女は転居のため当院を卒業して行った。

当然、この話はご本人の了解をいただいた上で、ご本人とわからない程度に変更してある。

「好々爺」

  「コウコウヤ」と読む。

よく巷で見かける中華料理屋さんの「好々亭:ハオハオテイ」のことではない。広辞苑によれば、「人のよい老人、ニコニコした優しそうな老人」とある。
この「好々爺」という言葉がぴったりのよし男さん(仮名)が、お見えになったのは、気持ちのよい気候の初秋の頃である。このよし男さんのDNAをそのまま受け継いだような、見るからに人のよさそうな息子さんと一緒にお見えになった。
  「自転車で出かけては迷子になって警察に保護されること数回」、心配したご息子さんが一緒にお見えになった。ニコニコしながら、よし男さんがおっしゃることには「いやあ~、あきまへんのや、すぐ忘れますのや、私、刺身が好きでんねんや、忘れて1日3回刺身、こうてきて(買ってきての大阪弁)おこられてまんのんや(叱られていますの大阪弁)」とニコニコ、ニコニコしながらおっしゃる。息子さんも、「そうですんや、まあ好きやったら、刺身何回、買っても、かまいませんけど」・・・と苦笑しながら、仲のよい親子である。「でも、迷子になって事故にでもあったら心配ですから、つれてきました」とのことである。
いろいろとお話を伺い、ご家族とも相談して、ご本人にGPS付の携帯電話を持っていただいたり、いろいろと工夫をした。そして、お薬、あんまり大きな効果を期待しないでください。私の家族なら処方しませんよ、とご説明の上で「物忘れの進行を遅くするといわれる薬」を希望されるのでお出しした

まあ!なんと!よし男さん1~2ヶ月このお薬を服用いただくとなんと!警察に保護されることがなくなってきた。「へぇ~、チョッとは効果があるんだ」と感心しながら、またよ~く話を伺って考えてみた。
初めてお見えになったのが初秋の頃、サイクリングシーズン、自転車でお出かけには誠に気候のよい頃で、この数ヶ月ですっかり寒くなり、自転車でお出かけすることがなくなり、ご高齢の方用の「地下鉄無料パス」を利用して散歩に出かけているという。道を間違えそうになると、とにかく地下鉄に乗ってしまえば何とか地元の駅に到着、帰宅できるそうである。よし男さんは、大阪弁からわかるとおり、根っからのから大阪の方で、地下鉄の駅名、地名がわかれば帰ってこれるとのことである。「薬の効果か」?さては、「昔の記憶か」
でもやっぱり、ニコニコ、ニコニコしながら楽しそうに「お刺身は毎日3回買って、怒られてまんのんや」とおっしゃるよし男さんである。
よし男さんがお見えになると、なんとなく私もほっとして、ニコニコしてしまう。
大阪の由緒ある地名がどんどん失われ変わりつつある。道の迷うご高齢の方が増えるのではないか心配である。

当然、この話はご本人の了解をいただいた上で、ご本人とわからない程度に変更してある。