好訴妄想

「こうそもうそう」と読む。

ウィキペディアによれば、「妄想反応の一種で、独善的な価値判断により自己の権益が侵されたと確信し、あらゆる手段を駆使して一方的かつ執拗な自己主張を繰り返すものをいう」とある。(: querulous delusion、: Querulantenwahn)

数十年も前、ある病院に勤めていた頃の話。

今の私くらいの年齢のおじさん、いつも難しい顔をして六法全書を小脇に抱え病棟内をウロウロしていた。なんとなく仲良くなってきて、世間話をしたりしても別に何処に問題があるのかと思っていた。この人のカルテを読むと、過去にはかなりの幻覚妄想があったようである。その時点でも、私には詳しくは話さないがよく観察するとかなりの奇妙な行動もあり、やはりは幻覚があるようであった。これは二重記帳と言って、妄想世界と現実世界をうまく使い分けているのである。まあそれなりの寛解状態である。

ある時、この人とは別の用事で役所の方がお見えになった。そのおじさんはかなりの行政の方の間では有名な方であったようで、この人を見かけて、役所の人曰く「やあ?久しぶり、元気に訴えてるか??」と聞く。

おじさん曰く「元気にやってますわ?、今度はこの近所の駅前の自転車にしときますわ?、アハハ」と機嫌よく挨拶を交わす。

どうも、なんの事かわからないので、昔からいる婦長さんに聞いてみた。こういう場合に頼りになるのは婦長さんである。婦長さんや古参の看護師さん達には可愛がってもらっていた。

婦長曰く、そのおじさん、そこら中の駅前の不法駐輪の人を調べては、訴えて回っているという。あれは(訴訟)本人の趣味であるという。なかなかのご趣味である。そこ、ここの、ちょっとした大きな駅に止めてある不法駐輪の自転車を見つけては訴える。役所の人はその事を言っていたのである。

おじさん恐るべし。

確かに、不法駐輪は違法である。しかし、日常において不法駐輪といった程度の違法行為はナアナアで我々は見過ごす事が多いが、この人はあくまで四角いのである。持ち主まで特定して訴えるのはすごいエネルギーである。このように妄想者は非常なエネルギーを持つ。ある意味婦長さんの言う通り「趣味である」。我々は趣味には多大の時間とお金とエネルギーを注ぐ。この場合、法律上は違法の事実、法律関係の方法も正しいので、精神医学的にはこの場合「好訴:妄想」というより「好訴:者」と呼ぶ方が正しいのかとも思う。

別に私が悪いことをした覚えもないが、ちょっとでも機嫌を損ねて訴えられると困るので、私はこのおじさんと仲良くなっていたので、「僕だけは、訴えんといてな?」と頼んだところ、おじさん「わかった、あんた、何のか気に入ったから、あんたは訴えんといたるわ」と言ってもらえて、ホッとした。私は人事で別の病院に異動になったので、訴訟の行方がどのようになったかは知らない。何しろ、裁判関係は時間がかかるので、もしそうだったとしても、その結末には長くかかったのではないかと思う。あえて後任に結果は聞かなかった。