昔々その昔おじいさんとおばあさんがありました。

昔々、その昔、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんはチョットおからだがご不自由で、おばあさんはチョット物忘れがありました。
ある時、おじいさんは山に芝刈りに行こうとしましたが息切れがするので、芝刈りはやめてしまいました。おばあさんは川に洗濯に行くのですが、どんぶらこ~、どんぶらこ~洗濯物を川に流してしまったり、そのままおいて忘れて帰ってきたりするので、川へ洗濯に行くのを止めていました。
あるとき、悲しいことに、おじいさんの息切れが、チョット悪くなってしまいました。そんなにたいへんに考えるほどでもないのですが、おじいさんは「もうあかんのや!もう駄目なんや」と、皆が大丈夫と説明しても、なかなか納得しませんでした。
 そんなある日、おじいさんは、物忘れのおばあさんを残して自分が先に逝ったらと心配で、心配でたまらなくなり、なんと!!「おばあさんの首を絞め、自分も死ぬのだ」と言い始めました。心配なので、仲の良いご夫婦だけど、仕方がないので、別々に生活するようになりました。おじいさんはおばあさんと離れて暮らしても、なお「心配や!心配や!」は続きました。
      夫の愛はなんと切ないものでしょう。
?  一方で、おばあさんは、離れて暮らすようになって、おじいさんが心配した通り、物忘れはますますひどくなってきました。しばらくした頃、おばあさんもおじいさんが心配だろうから、お話をしようと、またどのくらい物忘れがあるか見てみようと、いろいろ聞いてみることにしました。
「よし子さん(おばあさんのこと)、おじいさんはどうしたはる?」と、お聞きしました。おばあさんは、「アーッ、アーッ、ソンナモン、知らん!知らん!それよりおやつ、おやつチョーダイ」との返事でした。
      妻の愛はなんと切ないものでしょう。
?男もいろいろ、女もいろいろ、夫婦の愛情も、いろいろ、男と女の愛情、切ないものです。

「あんたのパンツいつまで洗うの」?!

「あんたのパンツいつまで洗うの」?!強がって息子の前では、そう言ってはいたが、いざ息子が家を出ていってしまうと、寂しさが一気にこみ上げてきた。そしてなぜか無性に腹が立った。泣いた。涙は熱かった。
子供が小さい頃、主人が逝った。女手ひとつで、ここまで育てた。「子供のため、子供のため」だけを考えてきた。苦労もあった、大学も卒業させ、一流会社に入社、とにかく一人前に、一人前に、と思ってがんばってきた。いざ一人前になって就職で社会人、親元を離れてのお勤め、もう息子のパンツは洗えない。
・・・・・・しかも、これからは息子のパンツは彼女が洗うらしい!!フム!!!
何か気が抜けた。息子がいるときは「暑苦しいな」と思っていたが、いざいなくなると、一人きりのマンション、仕事で疲れて帰って「ただいま~」パチリと自分で部屋の電気をつける。家の中の空気の温度が下がってしまった。

本当に、鳥の雛が飛び立った後の「空の巣」・・・・・・・とりあえず、さびしい。


ここで、男の下着を洗ってくれる女性の話をいくつか。
昔話の「鬼のふんどしを洗う女」

? あるとき、仲のよい男と女がいた。そこへ、鬼がやってきて、男を痛めつけた挙句、女をさらっていった。何とか助け出さねば。男は女を取り返すため鍛えた。空手、柔道、・・・・鍛え、鍛え、鍛え上げた。そして鬼の下へ・・・・。なんとさらわれた女は、のんびりと川で鬼のふんどしを洗っていた。女いわく、「だって仕方がないじゃない、いまさら」。女性の「環境適応性のよさ」の話か。


坂口安吾の小説に出てくる「青鬼の褌(ふんどし)を洗う女」
?? 堕落じゃなく、この人は「自由奔放・変幻自在に生きる女」でしょう。


よしこさん、この10何年、「お母さん よしこ」として一人でがんばってきました。ご苦労様! また、旧姓の「××よしこ」に戻りましょうか。
男の下着を洗う女性は、「環境適応性」がよいのであります。そして「自由奔放・変幻自在に生きる女」であるのですから。

夫婦善哉

「この間の締め切り今日やったでしょ・・間にあった?」「あの振込み今日期限やったでしょ・・チャンとした?」。「世話焼き女房」型のよしこさん、これはお父さん、お兄さんに対する会話である。
放っておけないのである。口が、手が、先に出てしまう、本人が困らない間に先に片付けてしまう。世話を焼いてしまう。「困らぬ先のよしこさん」である。
お父さんもお兄さんも、彼女に頼りきっている。「お父ちゃん!もォ~~!またァァ~~」、「お兄ちゃん!!もォ~~またァァ~~」毎日のせりふである。兄からの電話「会社の近くに来たから、昼でも一緒に・・」彼女の オゴリである。
会社でも、ソウ、彼女は頼りになる人である、頼めば断らないというより、断れない「性質(タチ)」皆が知っている。自分でもわかっているが断れない。
父兄を見ていると、男って、こんなものだと思うと、異性関係も腰が引けてしまう。

「わかってるんですよね~~、でも、ついつい手が出てしまうんですよね~、いつかやめようと思ってるんですが、ついついね、わかるでしょ! 先生」なんとなくわかるよ、よしこさん。

ここで思い出すのが、織田作之助の「夫婦善哉」映画でも森繁久彌さんと淡島千景さんのすばらしい大阪弁の世界、昔の大阪弁の世界である。ダメ旦那を支える気丈な妻仲のよい夫婦のお話である。
よしこさんも、父兄でなく、「旦那」にすればよいのに、旦那なら納得づく、父兄は選べない。

数年前だったか、新聞に、未発表の織田作之助の「夫婦善哉」の後編が見つかったとのことである。

よしこさん、ご安心あれ!!
うるおぼえですが、確か、この後編では、ダメ旦那も戦争で焼け出され、頼るところがなくなったところ、一生懸命仕事を始めたという筋書き、ハッピーエンドであったとのことです。

お父さん、お兄さん「大器晩成」、チョッと遅いかな~~?遅いね、遅咲きやね?

 ご本人の了解をいただいたうえ、ご本人と同定できない程度に改変してあります。

成功という憂鬱

 ・・・・・・・・と言うことで彼は成功した。いわゆる勝ち組である。

30歳有余にして数件の店舗を傘下に、年商数億、経済的にも、時間的にも余裕ができた。

そして、彼は憂鬱なのである。学校を卒業して、働いた、がんばった、お金がほしかった、第一号店、必死作り上げた、夢の中のよう、、第二号店、おもしろかった、ワクワクした、お店にあれをしよう、これをしよう・・・・、第三号店、なんとなくうまくいってしまった。ついで、その他の店舗、スラスラ、サクサク・・・・これもなんとなく、うまくいってしまった。第二号店までのような充実感、わくわく感はなかった。

ある時、チョッと疲れ、仕事の休養をとった、「アッレ~、おかしいな~」 自分がいなくても、この会社は、成り立って進んでゆくのである。あれだけ全身全霊打ち込んで、精魂、心を込めた会社、「自分の会社」であるのに。

あれだけほしかったお金、自由になっていくらでも使えるようになると使ってみても面白くない、忙しいとき、時間を創って、散財してやろうと思っていたのに、してみれば何のことはない。パチンコ何万円も使ってみた。何のことはない、面白くない。面倒くさいだけ。

忙しいとき皆によく言われた「生き急いででいるんじゃないか」。最近その言葉がよく心に戻ってくる。?

1年間休もうと思っていたけど、最近、心して頑張ってみてるんですよ、店回りもまた始めました。調子いいですよ。ちょっと食べすぎです。

 うつ病に励ましは禁物というが患者さん、あるいは時期次第である。仕事楽しみや、君の生きがい、趣味、楽しみやね。もっと会社大きいしいや。

フッと、この歌詞を思い出した。心理学的、精神病理学的には、ちょっと違うかな、

「 If I could wish for somethig 」

望みはなにかと聞かれたならば

幸せ、と答えはするが

望みが叶って幸せになったなら

すぐに昔が恋しくなるだろう

あんなに素晴らしく不幸だった昔が

映画「愛の嵐:The night porter」  映画見たらやっぱりチョットちがうな~~。

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