男と女 Un Homme et une Femme No1「一目惚れの精神病理学的考察」

 その昔「一目会ったその日から、恋の花咲くこともある、サァ~、パンチでデート」という視聴者参加番組があった。私の友人も出たそうな。
 「一目惚れ」は、古典的な精神病理学では、簡単に、端折って言えば、「妄想知覚」あるいは「意識障害」に分類されるそうである。

 まったく、精神病理学者という人たちは意地が悪い。仲のよい男女の関係を横目で見ながら、腹の中でこんなことを考えているのだから。「妄想知覚」とは「実際の知覚に理由なく一定の意味が与えれるもの:たとえば町で見知らぬ女性を見て自分の恋人であると体験する」(精神医学事典:弘文堂)。

 今回の話に、ぴったりの例が書かれている。それが訂正不能の判断であっても、お互い男と女の睦まじい関係が、ズウッ~と、ズウッ~と持続する場合、これは「恋愛」でもあり「妄想」と呼ぶことが出来る。どちらかがそう思わないときに、片思いということになる。知人のカップルを見ていても、どうしても、どこがお互いをひきつけているのか、他人の目からはわからないことがしばしばある。恋は「モウモク」である。妄想も訂正不能の判断の誤り?である。
?一方で、このような男と女の睦まじい関係が、一定期間過ぎた後、醒めてしまうことがある「夢:意識障害」から醒めるのである。「ハァ~、なんでこんなんに(男)(女)に惚れたんやろう」とため息混じりに、相手の厭なところばかりが、目に付き始めることがある。意識障害から醒めたのである。少し前の言葉で「成田離婚」という言葉があった。夢を見ている時の睡眠は、生理的な意識障害である。

入局したての新人に医局の馬鹿話として受け継がれる類のものである。残念ながら、私の在籍の長かった大学医局では、歴史が浅いためか、こんな習慣はなく、他の大学の親切な先生に耳学問をさせていただいた。精神病理学というとどんなに難しい話かと思うと初めは緊張したが、・・・アハハ・・・おもしろかった。興味津津・・・よく「勉強」した。
?今では、大学医局制度が崩壊し、また酒を飲みながらの、こんな馬鹿話もしなくなってしまった。心の栄養になるような話がなくなった分、薬の治療が増えてしまっているのか?。臨床、つまり患者さんの「お手伝い、お役」にはこんな話のほうが、役に立つのではないかと思うのだが・・・・。

睡眠薬を飲み忘れた夢 : 薬物の効果

先日、患者さんと話しをしていて、二人で思わずアッハッハと笑ってしまった。患者さんのOkを頂いてここに書いている。?

 チョット調子を崩して当院へお見えになった、眠れないとおっしゃるので、睡眠導入剤を少量処方した。やや不安だったようであったが、かなりよくなったので減量しましょうかと相談の上、必要時に使用していただくように 「頓用(寝れないときだけ使用すること)」に切り替えた。?

 なんと、彼女いわく、気になりながら睡眠導入剤を服用せずに寝たところ、なんと「睡眠薬を飲み忘れた夢」をみて夜中に目が覚めて、また服用したとの事である。思わず二人で大笑い。心配になるくらいなら睡眠導入剤を続けられたらいかが、と説明し安心していただくことにした。あれから数ヶ月、安心し始めたのか、睡眠導入剤は服用するのを忘れ始め、減量し始めているとの事で、いつ忘れたのかも忘れ始めているとの事である。?

2008-11-04 17:01:45 珍しい失語症 : 意味論的理解
月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。 といふような具合で、この南森町で開業して1年が過ぎた。当初、3年ぐらいで患者さんもそれなりにお見えいただくであろうと思っていたら、なんとこんなに多くお見えになるとは思いもしなかった。田舎のねずみが都会にやってきてびっくりするようなものだろうか。想定外にお見えいただく患者さんが増えている。最近、うれしいことに、先日より立て続けに、「ブログ、サボってるん、違いますか、読んでるんですよ~」と励ましの言葉を頂いた。これを読んで頂いている方々にお詫び申し上げます。

 本日は、初心に帰って、この「メンタルヘルス 徒然草」と名づけるもととなった方のお話である。私が医者になった頃、「精神神経科」といって精神科、心療内科、神経科、神経内科は今のように機能分化されていなかった。だから私くらいの医者は精神科、心療内科、神経科、神経内科、そして心理学も、区別なくトレイニングされた、だから、私たちは脳波、心理検査、知能検査、神経学的所見のとり方・・・今の神経内科の先生方あるいは心理士の方々が行うような知能検査、人格検査も、自分で検査してきた。失語症検査などもそうである。一時私はこの検査に凝っていたことがある、多くの患者さんに施行した。この標準失語症検査(SLTA)をしていて神経内科のほうが学問的に興味深く思えてきてもう少しで、私は「道を踏み外し」「こころ医者」でなく「神経内科医」になりそうになった。 現在は基本的に失語、失行、失認のお手伝いは現在の当院の設備では不可能である。

 その患者さんは、頭の前の部分、前頭葉というが、その左の部分に交通事故で外傷をおい、入院していた。いつものように回診と称し病棟で患者さんと遊んだり、無駄話をしていて、何となく静かなこの患者さんに気がついた。リハビリの意味をこめていろいろと話をしたり、一緒に遊んだりTVを見たりしていた。ところがなんとなく話をしていても、チョッとおかしいなと思うところがあるのに気がいた。

例えば、 漢字の読みとその意味をいってもらうと
  徒然草:トゼンソウ
  真面目:マモクメン
  几帳面:ハンチョウメン(半分の帳面)またはボンチョウメン
  落目:ラクメ:目がポロリと落ちること
  源義経:ゲンジケイ:昔の偉い人(但し歌舞伎などでは義経をぎきょう)と読む事があります
  委細面談:イソメンダン:細い面でも面談する
  古顔:コガン:昔はこんな顔をしていた
  遠足:エンソク:足が遠いという意味
  七夕:ナナユウ:7回夕方になると7回夕焼けがあるということ
  師走:シソウ:先生や講師や牧師が走ること
  顔役:ガンヤク:顔の役をする
ことわざ・慣用句の意味
  石橋を叩いて渡る:石橋に例えば人間がわたるとすれば人間が2人とも落ちたという  意味
  サルも木から落ちる:人間でも落ちるからサルが落ちんことはない
  腹が黒い:腹が減ると黒くなるという意味私はやはり腹が減ると黒くなる
字を書く
  まじめ:最地目
  はなたかだか:花高々
? あまりに興味深かったので、もう少しでこのような病態の人たちを調べる「神経内科」に転向しそうになった。あの頃は私もよく勉強した?? この人は、私の人生を変え「足を踏み外す」ところであった。ここで、確認しておくが「神経内科」のがよくないといっているのでなく私は今の「こころ医者」のほうが今になってよかったといっているだけのことである。
その頃には言語療法士といった職種の方々は非常に珍しく、この言語症状を確認する方法は困難であった。そこで標準失語症検査(SLTA)の登場である。以後私は何回にもわたってこの方あるいは、その他の患者さんのSLTA所見を調べて回ることになった。患者さんも退屈しているから、ゲーム感覚でよく乗ってくださった。結局神経心理学という学問では、この患者さんは珍しいタイプのチョット変わった「超皮質性混合失語」という結論に達した。このタイプに、以上述べてきた「語義失語」「semantic aphasia」なるものはこの「超皮質性混合失語(感覚失語)」分類されるが、もう詳しいことは忘れてしまった。その後「伝道失語」「失書症」などたくさんの患者さんのお手伝いをした。
? ところで「徒然草」を「トゼンソウ」と読んだ人がいるやもしれぬ。本日はこれを「トゼンソウ」と読んでしまう人たちについて、本日は2)の「トゼンソウ」と読んでしまう病態になってしまった方についてである。私が考察するに以下の2種類が考えられるであろう。
1)???? 単に知らない人:学校の古典の時間に昼寝をしていた人
2)???? 上記のような一部の病気の人
1)? の人たちは、致し方なし!!  この場でおぼえること!!。
2)? の方は失語症の一種で、かなり珍しい病態で「語義失語」である。学会などで発表はしなかったが、私の検査記録からは、1部の統合失調症の人たちにも同様の所見が認められた。
 だから、このブログの本当の読みかたは「メンタルヘルス ツレヅレグサ」でなく「メンタルヘルス トゼンソウ」が正しいのである。これからはこう呼んでいただきたい。
?                                                                 ?? 話は少し変わるが、ことわざに関しての話。あるとき、あるお嬢さんと話をすることがあった、妙齢の大学ご卒業のご大家のお嬢様である。かなりの教養もおありの方である。大学時代は大都市で下宿生活をふんだんにエンジョイなさったとのことである。この方も話をしていると何となく食い違う、あるとき「不言実行」という言葉の意味について話したことがある。彼女の言う「不言実行」の意味、いわく「そんなことをお父さんに言ったら叱られて、止めさせらてれてしまうだろうから、お父さんには言わずに実行してしまうこと」ということだという。チョットおかしいので、訂正してみると「おかしいな~、ズットそういう意味であると思っていた」と彼女曰く。このお嬢さんの話を聞いたときに、前記の「語義失語」の方のことを思い出した。同時に、このお嬢さんの、今までの人生、特に自由奔放であったろう学生時代の下宿生活時代の彼女の生活と、これからの彼女の歩むであろう人生が、私の頭の中に、ス~ッと想像された。このお嬢さんは先に述べたどの分類に入るのだろうか?。「こころ医者」のおせっかいである。お許し願いたい。

6.うつ病になりやすい性格傾向:「努力してさぼります」話

古典的な意味での「うつ病」患者さんは独特の性格傾向がある。確かに日常うつ病患者さんと接しているとしばしば感じる。?

とにかく、まじめ!!!、几帳面、熱中性、仕事熱心、凝り性、正義感などが 1930年代に、下田という人によって指摘されていて、全くその通りである。少し遅れてドイツでもテレンバッハという人が同様の性格傾向 として 「メランコリー親和型」ということを唱えた。ドイツ人と日本人のメンタリティーはよく似ているのであろうか、その他の国ではあまりこのような研究はない。さらにもうひとつ、「対他的配慮」つまり自分の周囲の人に対して細やかな気遣いをする、ということを笠原先生という人が唱えている。?

 Aさんは典型的な「うつ病」の方である。まじめ一方、仕事が趣味のような方、人から仕事を頼まれると断れない、一度始めた仕事は徹底的にしないと気がすまない。仕事は120%する。つまり頼んだ相手の期待以上の仕事をしてくる。そんな、こんなで社会的評価は高い、このため「あの人に任せておけば・・・・」というのですぐにみんなに頼られる。「対他的配慮」があるので仕事を頼まれると断れない。結局、がんばりすぎてへばって当院へやってきた。 ?

 多くの場合、このタイプのうつ病の方は、比較的薬物療法がよく効く、1-2週間でかなりよくなったので、再発防止の意味で「うつ病の方の性格傾向」の話をした。社会的には十分過ぎるくらいがんばっているので、あまりがんばりすぎず、仕事も適当に手を抜くように説明した。?

 生真面目なAさん曰く、「努力してさぼります」・・・・とのこと、「ウームどうもわかっていないようだな~」、致し方なし。 

 「Geduld, Geduld, immer wieder Geduld: ドイツ語:辛抱、辛抱もう一回辛抱:私が心の医者になって最初に習ったドイツ語:患者さんがどうもわかってくれていないようでも辛抱しなさいというこころ医者への格言」を、心の中で唱えながら、さらに丁寧にもう一度「うつ病の方の性格傾向」の話をし、、「努力してさぼります」は、「なんか変ですね」と水をむけると、やっと気がついたのか、二人で大笑い。?

 最近やっと自分のペースをつかめてきたとのことである。

診断の重要性について:その1)

先に書いたように「こころの病気」といってもたくさんあります。それぞれにその治療法がことなり、またその患者さんのひとりごとにその方の人生がありお一人ごとの人生観もおありでしょう。そのため治療法は大まかには方向性があるでしょうが、やはりお一人ごとのオーダーメードの治療を考える際その診断にいたる過程は重要で患者さんの「お人柄」「考え方」を反映させる必要があると考えます。そのためにはその方の症状をしっかりとお聞きし把握する必要があります。多くの場合「メンタル科」「心療内科」を受診される場合、他科で種々の検査をたくさんたくさん受けてこられ、多くの場合他科の検査結果は「問題なし」といわれ、お困りの場合が多いようです。

 今回は「こころの病気」の代表格である「うつ病」について、というと、多くの方が「うっとうしい」「やる気が出ない」「感情が不安定である」「寝付けない、夜中に目がさめる、早く目がさめる、夢ばかり見て寝た感じがしない」などの感情あるいは気分の症状のみを考えてしまうのではないでしょうか。ところがうつ病の患者さんの大半が身体的症状、なんとなく「胃の辺りが重苦しい」「のどの辺りに何か詰まったような感じがする」「食欲がない」「何か口の中が何かおかしい」などの、特に「消化器」症状を呈されます。このためうつ病は古来「メランコリア:メラン(黒い)コリア(胆汁):黒胆汁症」と呼ばれていました。1400年~1500年にかけての有名な画家であるデゥーラーの「メランコリア」はそんな点で有名です。この「頬杖をつく人」はどのようなお気持ちなのでしょうか?

消化器症状 以外にも「頭痛」「めまい」「動機がドキドキ」「呼吸が荒くなる」・・・・などのいわゆる「自律神経失調症」と呼ばれるような種々の症状が見られ、このような場合「自分がなにかの身体的病気ではないかと心配で仕方がない」といったいわゆる「心気症:ヒポヒョンドリー」と呼ばれる状態となり、いろいろな病院で検査をして回るいわゆる「ドクターショッピング」という状態になります。このような調子で、大昔にはうつ病のことを「ヒポヒョンドリー」と同じ意味に使っていた時期があります。

このためには、このような身体症状の背後に隠された「心の症状」をしっかりと把握する必要があるでしょう、悲しいことに、このような場合患者さんご自身はなかなかその「心の症状」に気づいておられないことが多いのです。身体的な検査を受ければ、受けるほど心配になってくるよくある話です。

次回はその典型例「仮面うつ病」について、そこはかとなく書いてみむと思います。