精神科薬物療法について

精神科治療は、生物学的・心理学的・社会的側面からのアプローチが考えられる。生物学的には薬物療法、心理学的には精神療法、社会的側面からはリハビリテーション療法が一般的である。しかし治療目標が明確な他科の治療と異なり精神科の標的症状はわかりにくい。本当に患者さんのお役に立てているのか?などと考えてしまうことがある。

昔、反精神医学という理論があった。Wikipediaによれば、これは伝統的な精神医学の理論や治療に批判的な「思想運動」であり、精神医学は社会的逸脱にある種の精神病とラベルを付与する「社会統制」の1形態であるという。簡単にいえば、ちょっと変わった社会になじめない人が「精神病」とされるというのである。こういう意味で統合失調症に関しては「ひとつの生き方・存在形式」であるという人もいる。この思想運動に関連してか精神科医療を扱ったジャックニコルソン主演の映画「カッコウの巣の上で」があった。私より少し上の年代の先生方に馴染み深い思想運動だが、思想的に無色の私も一部「それもそうかな~~」っと、考えさせられるところもあり、精神科医ならば知っておくべき「思想・知識・歴史」である。「精神科など必要ない」という耳の痛~い考えの一つである。

こう言いながらも、精神医学も研究が進み「生物学的な医学の1分野」での市民権が得られてきた。ただ生物学的・心理学的と分類することが正しいのか、心理的動揺・変化があれば、脳内物質の反応が生じることは間違いないのだから。こんな意味で精神医学的治療は薬物療法が中心となっている。患者さんも、お薬なしというと怪訝な表情が返ってくることが多い。向精神薬の多剤・過量処方が問題になる中、無批判に精神科で使われる向精神薬というものが、本当に必要なのか役に立っているのか検証する必要があろう。

1952年のクロルプロマジン、以後1958年のハロペリドール、1957年の抗うつ剤 イミプラミン、1960年 ベンゾジアゼピン系抗不安薬など次々と生物学的基礎仮説にもとづいて精神科薬物療法の基礎が出来上がってきた。

1960~70年代の薬物療法が中心となり始めた頃に、心の病気、特に統合失調症を発症し、以後ずっと服用を続け人たちが80~90歳となってきた。長期にわたる薬物療法の社会学的哲学的観点から「ひとつの生き方・存在形式」である人たちのお役に立ってきたのか、再評価すべき時期が来ている。

アニマルセラピー

ある女性、職場で対人関係がうまくいかず、会社に行きたくない。朝起きれない。寝ようと思っても会社のことを考えて眠れない、ということでお見えになった。

ある時、子供さんがどうしても犬を飼いたいと言い始めた。結局最後は自分が犬の世話をするのがわかっていたので大反対したが、主人も含め全員が飼うことに賛成したので、犬の世話は子供がすることを約束してを飼うことになった。案の定、数日で子供は飽きてしまい、犬の食事、散歩全ての世話をすることになった。朝起きれない彼女にとって朝早くからの犬の散歩、犬は早くから起きて散歩に連れて行けと鳴く。始めは嫌で仕方がなかった。ご近所の手前もあるので、仕方なく早朝から犬の散歩をするようになった。日課になり、次第に朝から起きれるようになり出し、かえって調子が良くなってきた。生活リズムも整い出し、整えばそれだけ不眠などの症状も楽になり始めた。会社での対人関係は変わらないが、まあまあ、さほど苦労なく会社にも行き始めた。楽になり始めてやっと犬が可愛くなり始めた。

ここで「アニマルセラピー」について考えてみたい。良く言われる「動物の癒し効果」はこの場合、あるのかもしれないが、注目すべきは生活リズムもであろう。目覚ましでも起きれなかった彼女がチャンと早朝から起きて犬の散歩である。「犬に引かれて善光寺参り」である。

これが猫ではどうだろうかと、彼女に聞いてみた。「ダメでしょうね?」猫は自由に生きているから。

さらに考える。

イルカはどうか?海でプールで一緒に泳ぐわけにもいかない。

それではミミズクはどうか?夜行性である。

薬の治療とか、カウンセリングとか言うけれど、やっぱり多くの病気で、生活リズムは大きな意味を占めるような気がする。

とりあえず朝からちゃんと起きよう!!!

飲酒後うつ病:ポストドリンキングデプレッシオン:二日酔い

「やあ、久しぶり」何年か前に 当院を卒業した患者さんである。当時は定型的なうつ病でうつ病の薬にもよく反応、経過を見ながら治療終了、卒業した方であった。

どうも最近気分がすぐれない、元気が出ない、夜もしっかり眠れない、寝付くことは寝付くが眠りが浅い、その分日中も元気が出ない。

困ったな。うつ病性障害うつ病の人は、一生に一回のうつ病の気分の波のみで済む人が多いが、中には反復する人たちがいる。今回はもう少し時間がかかるかな、再発の方は一般に初発の場合より時間がかかる。

この人もそうかな?と思いながらも、初心に帰って病気の経過を、確認、聞きなおす。

よ~く、聞けばこの人毎晩多量のお酒を飲む。ビール数リットル、缶酎ハイ数本。チャンと聞き直してよかった。この人には3日でいいから禁酒をお願いした。それでまだ症状が続くようならうつ病の薬にしましょうと提案した。この人も怪訝な顔で何故薬を出さないか?と聞く。

うまくいけば薬なしで

一日目そんなに変わらないですよ。

二日目チョット体の軽さ感じますよ、その晩くらいからよく寝れますよ。

三日目治りますよ。それでダメならうつ病の以前に効果があったうつ病の薬出しましょう、と約束した。

お薬を出さなかったためか、なんとなく不満そうにその日は帰って言った。

予約の1週間後、診察室に入ってくるなり「治った」とのこと。

私思わず、お互いに大声で笑ってしまった。

後は、お酒を呑んだら、数日はある程度はしんどいことを説明し、今回はこれで治療終了した。

昔、酒飲みの医者仲間で、二日酔いを「ポストドリンキング デプレッシオン:飲酒後うつ病」などと勝手に命名していた。酒飲みの医者だからわかる「うつ病」の1亜型。

人生には二日酔いをしてみる経験も必要だ。

定年退職

「久しぶり??!ヤット無事に定年退職迎えました。その節はお世話になりました。」とご夫婦で挨拶にみえた。にこにこ、さわやかなお顔である。

確かに久しぶり、あれから数年、当院の卒業生の方である。

50歳前半、その人は初診してきた。会社に行くのが、辛くて仕方がないと言って見えた。

会社に出ると息苦しくて、息苦しくて仕方がない。「もう辞める、今すぐ辞める」と言って聞かない。

「とにかく、そういう大切な判断はせず、とりあえず休養を取ってよ?く考えてみては」と提案するが、辞めると言って聞かない。奥様もお越しいただいて、相談するが「頑固やからね?」「仕方ないね?」とニコニコ、なんとも良い奥様、貞女の鏡である。

私もちょうど同年代、大丈夫かいな。私の方が危機感を煽られる。「よ?く考えなはれ、諸事情、特に経済的に大丈夫かいな?」と大阪弁でとにかく休養の説得をして、休養していただいた。

こういう場合の大阪弁は耳障りがよい。

休養して、色々と二人で話し合った。

「辞めて何かしたいことあるの??」

「ない」

「 趣味あるの?退屈するで?」

「ない」

「やめてなにしまんのや?」

「ない、なにもせん」・・・・・「金魚に餌やって暮らす」

「何か別の仕事あてあるの?」

「ない」

「まだ年金ももらえんやろ??年金まだやろ~!」

「まだや」

「家族どう喰わすの?」

「なんとかなる」「嫁さん仕事してる」

「まだ50代前半やろ?、世の中がまだ必要としてくれてるんやで?」

「もういらん」

確かに頑固である。なにか、もう高校時代の友人との会話のようである。

世間話も含め、いろいろ話し合った。仲良くなった、同志になった。中年オジサン同盟。

数ヶ月、やっとこさ、頭が冷えて現実が見えてきた。この間、将来的に、収入のこと、年金のこと、趣味のこと・・・仕事やめての生き甲斐・・・色々とお考えになっていたようである。

「シャ?ないな、とにかく定年退職までは会社にいくわ?っ」

ということで数年前に当院卒業した。

そして、やっとこさ、念願の定年退職、年季明けを迎えられたというわけである。

ご夫婦ニコニコと晴れ晴れ、意気揚々と帰って行かれた。奥様も間も無く退職し二人の新しい生活、人生が始まるのである。

大団円、よく頑張られましたね、おめでとう、ハッピ?リタイアメント!