2.治療について:心の病気・障害の治療の基本的考え方

 こころの病気・障害の治療については、大きな前提を理解しておかないと大きな間違いになる。身体的なレベルの「病気」として同じように、捉えるならばこれは薬物療法が中心である。例えば細菌性肺炎や骨折といった病気ならば、精神療法・カウンセリングを行っても治らない。これは抗生剤あるいはギプスといった薬物療法、物理的な治療が必要であり、どの患者さんにも、どの医者にとっても同じ原因と結果が待っている、因果関係である。つまり 自然科学的な、ものの考え方のみで済む 「1+1=2の世界」 であり、どこで、誰が行っても、同じであるはずである。ただ患者さんの苦しさを、自分に当てはめてみて「つらいだろうなーー」何とかして差し上げたいというこころは必要である。
 一方身体的に問題がなく、「何かいやなこと、悲しいことがあった」に対する反応の場合、自然科学的なものの考え方のみでは説明できない 薬物療法の 「1+1=2の世界」のみでは割り切れない。
 人間の心の反応形式は各人によって異なる。例えば、家族に不幸があったりした場合、「悲しい」「あー、いい人だったのに」と思う人が大半であろうが、中には「ざまあみろ」と思う人、「遺産がたくさんもらえるので喜ぶ」人もいるかもしれない。つまり人間の心の大半の反応形式は、「十人十色」に代表されるように、みな違うのである。
 しかし多くの場合、ある出来事に対して、人が示す反応形式はある程度の予想ができる。こういったことを解き明かすのは、心理学的方法論あるいは人生経験といったものであろう。昔「Menschen Kenner」という言葉を聴いたことがある、「人間通」とでも訳すのであろうか?人のこころのひだを心得た人・・・・・必要である。?

 ある患者さんがお見えになって、われわれこころ医者が、その方の症状をお聞きする。そうして、この部分は自然科学的薬物療法を中心とすべきか?あるいはこの部分は、心理学的に解釈し、精神療法的いわゆるカウンセリングを中心に、お手伝いすべきか?を判断する。

 人生における苦悩、悲しみは薬のみでは解決しないし、またそういう薬物があったとしても、短期的に利用はしても、長い期間にわたって使用すべきでない。
 われわれこころ医者は、その自然科学的方法の部分と心理学方法でお手伝いすべきかの、比率を常に念頭においている。これをしないで薬物療法ばかりで対応しようとするこころ医者は「薬物療法妄想」であり、一方精神療法・カウンセリングのみで、対応しようとするこころ医者も「精神療法・カウンセリング妄想」である。

  そして、もうひとつは環境的な配慮である。疲れきっている人がいるならば、休息が必要である。こころ・身体の治療とともにわれわれは社会的存在であることを忘れることはできない。

2.治療について:心の病気・障害の治療の基本的考え方

こころの病気・障害の治療については、大きな前提を理解しておかないと大きな間違いになる。身体的なレベルの「病気」として同じように、捉えるならばこれは薬物療法が中心である。例えば細菌性肺炎や骨折といった病気ならば、精神療法・カウンセリングを行っても治らない。これは抗生剤あるいはギプスといった薬物療法、物理的な治療が必要であり、どの患者さんにも、どの医者にとっても同じ原因と結果が待っている、因果関係である。つまり 自然科学的な、ものの考え方のみで済む 「1+1=2の世界」であり、どこで、誰が行っても、同じであるはずである。ただ患者さんの苦しさを、自分に当てはめてみて「つらいだろうなーー」何とかして差し上げたいというこころは必要である。
 一方身体的に問題がなく、「何かいやなこと、悲しいことがあった」に対する反応の場合、自然科学的なものの考え方のみでは説明できない 薬物療法の 「1+1=2の世界」のみでは割り切れない

 人間の心の反応形式は各人によって異なる。例えば、家族に不幸があったりした場合、「悲しい」「あー、いい人だったのに」と思う人が大半であろうが、中には「ざまあみろ」と思う人、「遺産がたくさんもらえるので喜ぶ」人もいるかもしれない。つまり人間の心の大半の反応形式は、「十人十色」に代表されるように、みな違うのである。
 しかし多くの場合、ある出来事に対して、人が示す反応形式はある程度の予想ができる。こういったことを解き明かすのは、心理学的方法論あるいは人生経験といったものであろう。昔「Menschen Kenner」という言葉を聴いたことがある、「人間通」とでも訳すのであろうか?人のこころのひだを心得た人・・・・・必要である。?

 ある患者さんがお見えになって、われわれこころ医者が、その方の症状をお聞きする。そうして、この部分は自然科学的薬物療法を中心とすべきか?あるいはこの部分は、心理学的に解釈し、精神療法的いわゆるカウンセリングを中心に、お手伝いすべきか?を判断する。

人生における苦悩、悲しみは薬のみでは解決しないし、またそういう薬物があったとしても、短期的に利用はしても、長い期間にわたって使用すべきでない。
 われわれこころ医者は、その自然科学的方法の部分と心理学方法でお手伝いすべきかの、比率を常に念頭においている。これをしないで薬物療法ばかりで対応しようとするこころ医者は「薬物療法妄想」であり、一方精神療法・カウンセリングのみで、対応しようとするこころ医者も「精神療法・カウンセリング妄想」である。

 そして、もうひとつは環境的な配慮である。疲れきっている人がいるならば、休息が必要である。こころ・身体の治療とともにわれわれは社会的存在であることを忘れることはできない。

強迫性障害と清少納言

 清少納言(セーショーナゴン でなく、せい しょうなごんと読むのが正しい、康保三年頃(966年) – 万寿 二年頃( 1025年 ?))は 平安時代の女流 作家 、歌人 。本名は清原諾子(なぎこ)という説もあるが、不詳。「清」は清原の姓から、「少納言」は親族の役職名から採ったとされている。実名は不明、「諾子(なぎこ)」という説(『枕草子抄』)もあるが信ずるに足りない。博学で才気煥発な彼女は、主君定子の恩寵を被ったばかりでなく、公卿や殿上人との贈答や機知を賭けた応酬をうまく交わし、宮廷社会に令名を残した。

 『枕草子:マクラノソウシ』は長徳2年( 996年 )頃から本格的に書かれ、最終稿は長保3年(1001年)から 寛弘7年(1010年)の間に完成したと考えられている。京都市東山区 –  百人一首にも採られて有名な「夜をこめて鳥のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」の歌が刻まれた清少納言の歌碑。清少納言の名が今日まで普く知られているのは、彼女の主要な作品『枕草子』によってである。『枕草子』には、「ものはづくし」( 歌枕 などの類聚)、詩歌秀句、日常の観察、個人のことや人々の噂、記録の性質を持つ回想など、彼女が平安の宮廷ですごした間に興味を持ったものすべてがまとめられている。 (以上の出典はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を抜粋、改変)
 病跡学(びょうせきがく)的な一部の説に??清少納言には、強迫性障害(強迫性障害については「フェイルセーフと強迫障害」を参照)があったという人がいる。
? 彼女は寝る前になると「ばかばかしいな~」と思いながらも、寝所の布団、枕をきれいにたたみ、徹底的に掃除をし、そして確認をし枕を「トントン・・・・・」と、8回叩かないと寝られなかった、これは7回であっても、9回であってもだめで8回でないとだめであったという、末広がりの8である。こういう状況を強迫儀式と呼ぶ。
? このような、日常の観察、個人のことや人々の噂、記録の性質を持つ回想など、彼女が平安の宮廷ですごした間に興味を持ったものを書きつづった。
? これが「枕掃除:マクラノソウジ」であるといわれている。??
? 「よもやま話」、信じないほうがよい説である。

強迫性障害とフェイルセーフ

機械工学の設計思想のひとつに、フェイルセーフというものがある。
「フェイルセーフとは、なんらかの装置、システムにおいて、誤操作、誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。
またはそうなるような設計手法で信頼性設計のひとつ」。
これは装置やシステムは必ず故障する、あるいはユーザは必ず誤操作をするということを前提にしたものである。機械は壊れたときに自然にあるいは必然的に安全側となることが望ましいが、そうならない場合は意識的な設計が必要である。たとえば自動車はエンジンが故障した場合、エンジンの回転を制御できないような故障ではなく、回転が停止するような故障であれば車自体が止まることになり安全である。鉄道車両は、(空気圧で動作する)ブレーキに故障があった場合、非常ブレーキがかかるように設計することがフェイルセーフとなる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
一方で、強迫性症状とは、「ばかばかしいとはわかっていながらも、考えてしまうこと、あるいは行ってしまう行為」、例えば「玄関の鍵をかけたはずであるのに、かけたかどうか気になって仕方がない、ガス栓は閉めたかどうか、電気のスイッチを切ったかどうか・・・・・」気になって仕方がない。  何回も何回も確認しなければ気になって仕方がない。よくある話である。皆様方もご経験があるであろう。私も多々気にかかるほうである。だからこんな時には、誰かに確認してもらうことにしている。このような、症状は、人間の心の調子あるいは身体的調子が悪くなると強迫症状が出てきやすくなる。
ここで、先ほどのフェイルセーフを人間の場合に当てはめてみると、人間を機械にたとえるのはどうかと思うが、人間は非常によくできている「心の調子が、あるいは身体的調子が悪い」と強迫症状はよく出てくる。つまり人間にはこのようなフェイルセーフの設計思想が、DNA上に組み込まれているのである。強迫症状があるご本人はつらいことが多いがこれはフェイルセーフなのである。
治療として、私は、薬物療法この症状をある程度で軽減した上で、もう一方で精神療法的には、褒めることにしている、「あなたはそれだけきっちりした、几帳面な人なのですよ、安全装置がはたらいている人なのですよ!!」多くの方に、「気になるくらいであれば、大いに確認をおやりなさい、次第に自信がついて苦しさが軽減して行きますから」と説明する。多くの患者さんは、はじめは信じてくれないが、何回もしているうちに確かに!!と思ってくれるようである。多くの方が少しほっとしてくれる。