逆説志向No1:社会不安障害、パニック障害、強迫性障害、過呼吸発作・・・の精神療法、治療

「ギャクセツ シコウ」と読む。ロゴセラピーという精神療法の技法である。ウィーンのV.E. フランクル という精神科医が数十年も前に創った。

社会不安障害、強迫性障害、赤面恐怖、対人恐怖、過呼吸発作、パニック発作、書痙(しょけい:人前で字を書こうとすると震えてしまうような症状)、吃音(どもり)、閉所恐怖などの症状にお困りの患者さんに劇的に効果がある。

もうこんな精神療法の一種があることも、「逆説志向」などという言葉を知らない精神科医が多いのではないか?

最近では、上記のような障害には、薬物療法を中心として、精神療法的には認知行動療法、内観療法などが主として行われるが、なぜこの治療法があまり用いられなくなったのか?不思議である。

あまりに劇的に効果があるので、はやらなくなった???薬物療法を続けておくほうが当然医者としてはエネルギーは少なくて済む?

むしろ、V.E. フランクルといえば、「夜と霧」というほうがご存じの方が多い。一方でこのような素晴らしい、精神療法の技法を残しているのである。

精神医学大辞典(講談社)にはその理論として、以下の様に説明している。

「不安神経症(現在のパニック発作に相当するであろう)の患者は不安発作を恐怖し予期不安におびえてこれらの不安から逃れることに腐心し、強迫神経症(現在の強迫性障害に相当するであろう)は強迫に対して不安を強め、強迫観念を抑えつけようとたたかう・・・・・、このように不安から逃れようとすればするほど、強迫に逆らえば逆らうほどかえって不安や強迫は強化され・・・」症状は悪化する。「これに対して、逆の方向に志向しようと努める。・・・もっと不安にもっと強迫的になろうとする。」

このように非常に逆説的である。

精神医学大辞典だからこのように大変わかりにくい。簡単なことを、難しそうに説明しようとするのが学者の役目である。

だから、わかりやすいように、多くの場合以下の様な図を書いて患者さんに考えてもらう。

症状:(強迫性障害、赤面恐怖、対人恐怖、パニック発作、書痙、吃音、閉所恐怖、電車に乗れない、飛行機に乗れない、過呼吸発作・・・・) ↑

変な風に見られる、格好が悪い、人に見せたくない

隠そうとする、やめようとする↑

また、症状が出るのではないか。(期待不安):不安の増強

↓ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒

期待不安がキーワード

 上記の悪循環を断ち切るためには、どこを切るのが最も手っ取り早いか?

 そしてヒントとして、多くの患者さんは、診察室に入るやいなや、この症状を隠そうとしないで積極に症状について話していることを指摘する。診察室では症状は出ない、なにしろ患者さんは症状を治療者に見せなければならないのだから。?そこで多くの方は「ハッと気がつく」、そう医者の前では隠そう、やめようとせずむしろ積極的に見せているからである。

 そこで、症状の復習、私の前で、患者さん本人の症状を出す練習をしてもらう。診察室の中で確認:強迫性障害、顔を赤くする:赤面恐怖、対人恐怖、パニック発作:パニック発作、書痙、吃音、閉所恐怖、電車に乗れない、飛行機に乗れない、過呼吸発作・・・・、多くの場合、出そうとすればするほど、症状は消失してゆく、後は「もっと自信を持って、症状を出す練習を、さらに次回までの宿題としてお願いしておく」、たいていの患者さんは、数回この様なセッションを行うと、症状は消失するか、軽快する。

最初、患者さんは、たいていこの話をすると、懐疑的あるいは心配でその一歩を踏み出せない。だから、薬物療法を少し、ほんの少し行うと、「宿題をする際」に踏み出しやすくなる。

大体1~2週間に1回、数回くらいで軽快状態に入る。?症状が軽快し始めたら、薬物療法のやめてゆき方を指導する。うまくいったら「卒業」である。だいたい数カ月、本当にうまく行けば、1~2回のセッションで「卒業」する。

この治療法は、V.E. フランクル著:高瀬博、長瀬順治 訳「現代人の病」―心理療法と実存哲学―(丸善)に詳しい。当院に来院しなくても、うまく理解できる方ならこの本をお読みになることをお勧めする。

学生時代、二日酔いで苦しむ私に、ある同級生が「お酒を一日飲んだだけで、二日も酔っていられるなら、それは幸せであると考えろ」と言った。これもある意味、逆説志向、私も二日酔いになるほどお酒を飲まなくなった。

ご本人の了解をいただいたうえ、ご本人と同定できない程度に改変してあります。

文献

1)精神医学大辞典(講談社)

2)V.E. フランクル著:高瀬博、長瀬順治 訳「現代人の病」―心理療法と実存哲学―(丸善)

新型5月病:「私、現役で大学通ってしまいました!」

この6月にも多くの患者さんが新しくお見えになった。世の中はこんなに複雑で、ストレスが多くて、困ったものなのか?本来、「心の医者」などなくてもよい世の中がよいのだろうと思う。
以前より「5月病」(Wikipedia)なる言葉があり、主に「新入社員、新入学生が・・・・・」、とされてきた、もともと、がんばって入学した後、入学という目標を失うといったところから来た言葉という。どうも新しく「6月病」形容してよいような一群の新入社員の人々がおられるような気がする。新型インフルエンザならぬ、新型「5月病」である。
6月といえば、本年4月入社で研修を受け、実働しはじめ本来の仕事が始まった矢先である。さらりと表面的なお話だけを聞くと「5月病」と変わりはないようだが、じっくりとこの人たちの話を聞いてみると、従来の「5月病」と呼ばれる人たちとは異なる共通項が見えてくる。
 
「気分が沈んで仕方がありません、会社にゆくのが怖いのです、夜うまく眠れないのです・・・・」。この程度まで聞くと、いわゆるストレス関連障害、適応障害の抑うつ型・・・がんばりすぎているのだ、と診断してしまうだろう。ちょっと休息でもとってみることをお薦めしてしまいそうである。
ところが、さらに状況を聞き進んでゆくと、「上司にしかられました、私は嫌われているのでしょうか?」「職場にうまく溶け込めないのです」とおっしゃる。
どうも違う? もっともっと聞いてゆくと、これらの多くの人たちには、やや従来の「5月病」とは異なる精神病理が存在するように思える。
この人たちは、一流大学卒で一流会社のエリート候補である。小さいときから英才教育を受け、学校の先生、両親にさえしかられたことがないという、ましてや他人にしかられたことなどない。限られた英才たちの間だけで、褒められることだけを経験してきたという。テストの成績は当然上位である。「答えの存在する問題」を解き、しかも的確にすばやく答えを出すことを訓練されてきた。「答えの存在しない問題」はない世界である。
そのような訓練を受けてきた人たちが、上司にしかられ、実社会に出て「答えの存在しない問題」に遭遇すると混乱をきたす。仕事、人間関係・・・世の中には、「答えの存在する問題」のほうが少ないということに面食らい、それが理解できないように思える。
イタシカタなし、精神療法的にじっくりとお話を伺い、世の中は、全く正しい答え、正解が存在しないほうが多いのであって・・・・などと、高校生に話したなら「オジサンぶって、ウザイ!」としかられそうなお話をする。さすがに、この人たち世の中で「少しもまれたせいもあるのか」しっかりと聞いてくれる。叱られるのも「君が期待されているから、トレイニングしてもらっているのではないか?」と疑問をぶつけてみるとさすがに頭のよい人たち「わかりました!!」と意気揚々となり、数回で、当院を卒業してくれる方が多い。
?この人たちと話をしながら、昔、私が某大学で教職にあったころに知り合った医学部の学生さんのこと思い出した。すなおで、よい子である彼女は医学部の学生でも、上位に属する人であった。つまりエリートである。
あるとき、私が別の教員と「浪人も別に悪いものではないですね、いろいろと人生を考えてみるチャンスであったようにおもいますね。この年になってわかるようになりました」「うん!僕もそう思うよ!」「お互い、大学に入るのに、数年苦労したモンネ!」などと、半分自嘲の意味もこめて話していた。
横で聞いていた彼女が、「先生! えらいことをしてしまいました! 私、大学を現役で通ってしまいました!!」と真剣な表情で困っている顔がフッと、私のこころをよぎった。
彼女は「技術的にはよい医者」になるだろう。ただ「心の医者」には、向くかな? あるいはできるのか?などと、あの「真剣な表情」を思い出しながら、彼女の歩んできた、そしてこれから歩む、であろう医者としての人生を思う。

Munk(ムンク)の「叫び」

Munk(ムンク)展が兵庫県立美術館で2008年1月19日から始まったのでさっそく見に行ってきた。(4月21日ではもう終了しているので注意してください。)

 残念ながら有名な「叫び:Geshrei(独語:ゲシュライ)」はなかったように思う。昔、ある大学で講義をしていたとき、統合失調症に関して、Munk「叫び:Geshrei(独語)」という作品について話をした。学生に聞くと、多くがあの奇妙な顔のおじさん?が叫んでいるのだと思っていることがわかった。同様にかなり以前のこと、ある放送局のラジオコマーシャルで「コンピューターを用いて、あのおじさんの骨格から考えられる、叫び声を再現したという声」を放送していた。今でも忘れられないあのこっけいな声、なんと!おじさんはかなり低い声で「ホッ、ホッー!」を叫んでいるのだ、そうな!最近の日経新聞にも取り上げられ、この「叫び」の絵の話であのおじさん?が何を叫んでいるのだろうという問いに、ある子供は「キャー、かつらが飛ぶー」と答えたそうな。一部の学者にはこれは「幻聴が聞こえる」ので怖くて耳を押さえているのだという人もいる。?

 フム!名画は種々の解釈ができる!!

 Munk自身は、このモチーフでたくさんの作品を描いていて、ストックホルムの名前は忘れたがある小さな美術館にある小さな作品の中に、メモのようなものを次のように記している。「Ich fuehlte das Gescrei durch die Nature.」(ドイツ語のウムラウトという字がないのでfuehlteは ueでご勘弁ください。) つたないが訳してみると「私は自然から叫びを感じる」と書いてある。?

? 統合失調症の患者さんたちのひとつの症状として妄想気分というものがあり、「周囲の何か異様な雰囲気、何か自分の周囲で奇妙なことが起こっているような感じがする、自分の周囲が奇妙に変化してしまう」といった症状を感じる人たちがいる。難しい言葉で言えば「実存の危機」と言うらしい。病気でない人たちには、決して感じることのできない、理解できない恐怖・不安らしい。?

 Munk統合失調症という病気に罹ることによって、この作品を生み出した。?

3.薬物療法について:その意義

 クロルプロマジンという向精神薬が、こころの病気の患者さんに、使われ始めたのが1950年代初めころからである。以後さまざまの身体的基礎仮説にもとづいて種々の「こころに作用する薬物」:抗不安薬、抗うつ薬、抗精神病薬・・・いわゆる向精神薬が開発されてきた。最近では、薬物療法が一般的に主流になりつつあるきらいがあるのは否めない。1900年代も終わり、この間、約60年の歳月が流れ、効果、副作用などその効用が検証されつつある。
 確かに、過度の不安、興奮、幻覚、妄想・・・などのこころの症状に対して種々福音がもたらされてきた。しかし、人生の苦悩、不安・・・といったものを薬物で治めるといったことが、本当に患者さんの「人生にとって」意義のあることであったのであろうか?
 昔テレビコマーシャルで、たしか「ニッ!ニッ!ニーチェか!サルトルか!み~んな、悩んで大きくなった」というお酒のコマーシャルがあった。病的な苦悩、不安・・・その他の精神症状は薬物療法を行う必要があろう、ただ過剰な効用は本来人間が持つべき苦悩、不安、悩み、疑問・・・を持たなくさせる。「こころの病気」を患い、回復する過程、それを通じて人間は何かを得ることがあるのではないか?
 安易な薬物療法は、人生の意義に対して疑問を持たなくさせてしまう
こころの病気が始まるのが大まかに20歳前後である、人間の平均余命が最近では伸びて80歳前後、一方で向精神薬の臨床応用が始まり、約60年の歳月が流れた。昔の精神科医は向精神薬を「一生続けるようにと言った」と聞く、本当にそうなのか?その必要があるのか?さてまたあったのか?
こころの病気の患者さん、また心の病気でない人々を含めて、本来の「人間の意義ある人生」にとって、薬物療法が本当に意味をもたらしたかどうか?患者さんの本来あるべき「ひとつの生き方」「ひとつの実存形式」を変えてしまったのではないか?
「検証できる時期」が、またさらに言うならば「すべき時期」が訪れているのではないだろうか?